富士山って?


富士山は、日本列島の中央部に位置しており、古くから東西を行き来する人々が遠望し、
あるいは間近に仰ぎ見てきました。標高3,776mという日本一の高さを誇る
この円錐形の成層火山が海から緩やかに立ち上がり、そのまま遥かな高みに達する様は、
古より旅人を感動させずにはおきませんでした。

人々は、富士山の圧倒的存在感から神聖さと崇高で畏敬の念を起こさせる壮大な美を感じ取り、
多様な信仰の場として崇拝するとともに、創造的な優れた藝術作品を生む母体となり、
時空を超え日本人ばかりでなく、多くの人々に愛されてきました。

また、富士山の恵みは自らの周囲に湧水などの豊かな自然を育んでいます。山麓地区に見られる
土地利用の様子は、自然と人間の共生を継承していること、そして現在も人々は富士山によって
生かされていることを物語っています
「富士山を世界遺産にするプロジェクト」より抜粋。


何合目という言い方はどこからきたのでしょうか?

 『合目』とはいったい何なんでしょうか。この『合目』についての資料は大変少なく、
わずかに大著『富士の研究』(全六巻・富士山本宮浅間神社社務所・昭和三年刊)に
見ることができます。それによると、なぜ容量を表す『合』を用いたかに付いては
五つの説が上げられています。

(1) 富士山は枡に入れた米を地上にあけたときの形に似ているので、
桝目を用いて一里を一合とした。
(2) 梵語の『劫』が『合』に変化した。
つまり、富士登山の苦しさを人生の苦難にみたて、
その難しさを劫数⇒合目で表した。
(3) 富士山の祭神はコノハナサクヤヒメという女神であるので、
生命誕生、胎生十ヶ月を十号に分けた。
(4) 山頂のことを御鉢といい、
仏教用語でもおそなえする米を御鉢料と言うところから、
米にたとえて『合』で区分した。
(5) 昔から洪水の水量をたとえるのに『何合何勺』の水といったので、
これにあてはめた。

つぎに、どのようにして一合目から頂上までの距離を決めたのでしょうか。
はっきりしたことはわからないのですが、かつての登山が、
修行や人間形成のための登山であったことを考えると、
各人の最終目的を十段階に設定し、その到達状況で、
現在は何合目と決めたのではないか。
また、昔、山伏が酒一升かついで富士山に登り、
途中で休んでは一合飲み、また休んでは一合飲みで、
頂上に着いたときに最後の一合飲み終えたというお話もあります。

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